ゆにぶろッ!

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【雑談】『JOKER』を観た

どうも。

Uniです。

 

話題の映画を観てきました。

色々と思うことがあったので、簡単な感想文を書きたいと思います。軽い気持ちでどうぞ。

 

 

とりあえず、観てない人のためにあらすじを説明。

〈恵まれない主人公が、ある殺人事件をきっかけに、貧困層暴徒のカリスマになる話〉

ネタバレだったらごめんね。

 

 

ただ、この話のメインはこのストーリーではなくて、そこに至る過程の物語。そもそも主人公は、後にバッドマンの悪役として登場するわけですから、こうなるのは予想できますしね。

 

あとR15なのは、必要な判断だったと思いますね。

まだ考え方の幼い人がこの映画を観たら、暴力的な部分に強く感化されてしまいそうだし。こういうのは考え方の一つとして受け入れられないと危ないよね。

 

 

・まず、どんな映画か

 

この映画を端的に表すと、「暗い」です。

ありきたりな表現ですが、ただただ長くて暗いトンネル。そんな感じ。光がなくて、不気味で、気分が悪くなるような。

 

やっぱり物語といえばさ、ハッピーエンドじゃないですか。みんな好きなんですよね、「1回負けたり挫折しても、そこから能力と運と努力によって素晴らしい未来が訪れる」ような話。

 

主人公の人生に、爽快さや達成感を感じる訳じゃないですか。言うならば、自分の人生を乗っけてるんです。自分でできないことを、物語に代行してもらって、達成したような興奮を得る。こういうエンターテイメントな訳です。

 

だから、映画ってそうだろって。気持ち良くなるだろって思って見るんです。ハッピーエンドを期待してる。

 

だからこそ、そういう映画として観てしまうと、「あぁ失敗したな…」って思うでしょう。嫌な気持ちになる。だって、映画の中の人物は自分の人生の代行者だから。

虐待、病気、貧困、軽蔑、嘲笑、精神異常、、、

まともに受け入れるには厳しいし、理解できないし、したくない。

 

そして、辛く悲しい話が続くわけだから、得られるものは爽快感や達成感じゃなくて、暗い気持ちと不快感。

でも、この感情があるからこそ、主人公の殺人などの異常行動に違和感を感じにくいのでしょうね。

 

普通に考えたら、"人を殺した"と聞いたら、なんて悪いやつだと思うはず。でも、そこに至る過程があるから、不思議と自然に受けとめてしまう部分がある。ましてや、ラストの方では殺される方に非があったとさえ感じてしまう。

そういった描き方になっています。

 

映画の概要はこんな感じ。

詳しくは観て、感じてください。

元気な時に見てね。

 

 

 

 

・主人公の価値観

 

ここからは、主人公アーサー、JOKERから見る価値観について、書いていきたいと思います。

 

映画内で一貫して感じるのは、アーサーは誰かに認めて欲しかったんだろうということです。

 

多くの人は、親や家族や友達から、存在を認められて育ちます。

ある話では、〈人は、認められたい時期⇒反抗し自我を意識する時期⇒人を認めてあげる時期という過程を経て大人になる〉と言われています。

つまり、幼少期から認められてこなかった人物は、価値観が子供のままであるとも言えるわけです。

 

アーサーは精神異常のある母と暮らし、友達もいなければ、病気のこともあり、周囲の人間から疎まれている場面も見られました。(彼は自分の意思と関係なく、笑い出してしまうという病気を持っていました。)

また、彼はコメディアンになりたいという夢を叶えられずにいたし、妄想癖も見受けられます。

 

言うならば、彼は認めて欲しいという気持ち、彼の夢見がちであるという特異性が、彼の価値観を作り上げています。

 

 

また物語の中で、彼はコメディアンとして立った舞台でネタを行うのことになりますが、開幕早々にステージで持病の笑いが出てしまいます。話そうとするも笑ってしまい、話が進まない。

しかし、観客は笑ってくれました。おそらくそれは、ネタというより彼という人間を笑っていたようにも取れますが。

 

ただ、これによって彼は自信を持ちます。

人を笑わせることができたから。そして、彼の映像はテレビでも取り上げられました。偶然それを見た彼は興奮します。自分がテレビに出ているのです。そのことに釘付けになりました。

しかし、それは彼の思うところではなかった。彼の尊敬する人物が、アーサーの立ち振る舞いを皮肉って笑い者にしていたのです。

 

そのことにショックを受けた彼に、追い討ちのように、別のある事実を知ります。それは彼にとって非常にナイーブで辛いことでした。

 

そういった場面で、特に印象的だった台詞。

「僕にとって人生は悲劇だと思っていた。しかし、僕の人生は喜劇だった。」

(セリフは正確ではないですが、ニュアンスで受け取ってください)

 

この台詞には含まれる意味は、正確にはわかりません。

自分の人生を嘲笑してのものなのか、苦しみから解放された、何かから解き放たれたということの表れなのか、もしくは我が人生に意味を見出したからなのか。

 

この辺りで、彼の価値観が変わっていったように思います。そして、彼は様々な暴挙に出ることとなります。

それは、けっして世間で良いとされることではありませんが、彼の物語が始まったとも言えるかもしれません。

 

 

 

 

・アーサーの正しさって何だ

 

幼少期の頃よりアーサーは、母から病気のことを変だと言われ、正しくしなさいと言われていました。また、病気を抑えるために多くの薬を摂取しており、市の福祉サービスも受けています。

 

ただ、劇中でアーサーは何かに気がつきます。

薬で発作を抑えることは正しくない。薬をやめたら晴れやかな気分になった、と。

 

たしかに、病気を抑えて普通の生活を営むことが正しいのか?と言われると、答えられません。

自然界においての正しさもあれば、人間社会の正しさもある。しかし、アーサーからすれば、自分を抑えることは正しくなかった。

 

そして、終盤JOKERは人を殺めます。

その前のアーサーのJOKERの主張こそが、この映画の全てです。

でも、ここは是非見てほしい。

僕の下手な紹介では失礼だから。

 

 

ただ、言えるのは"正しさ"なんて都合でしかなくて、悪と断ずるのは理解しようとしないだけってこと。

世界に悪なんかなくて、あるのはそれぞれの"正しさ"の主張だけ。

 

人殺しなんて、とんでもない大罪だと僕は思う。

しかし、JOKERにとっての、"正しさ"は違ったんです。JOKERの喜劇には必要な"正しさ"なのでしょう。

そして、その彼の持つ"正しさ"は群衆を動かした。それはある種、正しいのかもしれません。

 

 

 

 

・誰もがJOKERを持ってる

 

そして今回、僕が伝えたいのは、誰もが小さなJOKERを持ち合わせているという話です。

映画『JOKER』では、アーサーという人物が悪役JOKERとなるまでのストーリーを描いています。

そして、彼が悪のスターとなるまでに、どのような過程を経たのか、それを見せているわけです。

 

人に認めて欲しい。その気持ちの暴走が彼を悪役JOKERにしてしまった。その過程を知れば、思い当たる節もあるように思います。

だって、誰しも他者に認められ、有名になり、名声を得たいと思う。程度は人によるでしょうが、少なからず、蔑まれ嘲笑われて生きていきたくない。

 

そして、正しさという概念も人によるでしょう。

独善的な人も、親切な人もそれぞれの正しさを持って生きている。みんなそうです。

僕の知らない世界には、別の正しさがある。

 

 

だから、JOKERの行動を理解できずとも、JOKERの心情や動機はわかってしまう。

こんな悲しい話も、他人ごとじゃない。

 

だから、彼を嫌いになれなかった。

いつかの自分もそうかもしれないから。

 

 

 

・最後に

 

現代日本では「無敵の人」という言葉が生まれました。

職も、金も、人付き合いも、社会的地位もなく、つまりはもう何も失うもののない人です。無敵だけど、無味方でもある人。

日本におけるJOKER、そういう人を生まないために、必要なのは認めてあげることなのかもしれません。

 

現実のJOKERを作らないために、人に優しくなろう。認めるようにしよう。それは自分のためにもなるから。

 

劇中JOKERはある人物を殺さず、優しく逃してあげました。その一言。

 

「君だけは僕に優しかった。」

 

 

ではまたの機会に。